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名古屋地方裁判所 昭和41年(行ウ)20号 判決 1966年7月09日

原告 磯貝三子

被告 名古屋法務局供託官

主文

原告の別紙目録記載の供託金取戻請求に対し、被告が昭和四一年二月一〇日付でなした却下決定はこれを取消す。

訴訟費用は被告と負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文同旨の判決を求め、その請求原因として、

一、原告は訴外市野八千代より同人所有の宅地を賃借していたが原告と右訴外人との間で、右宅地の賃料の額につき、紛争を生じ、同訴外人が原告提供の賃料の受領を拒絶したので、原告は同人のために名古屋法務局に対し、別紙目録記載のとおりの金員(以下「本件供託金」という)を供託した。

二、その後、原告は右訴外人に対し、昭和四〇年三月宅地賃料調停の申立(名古屋簡易裁判所昭和四〇年(ユ)第五九号事件)をなし、昭和四一年三月一六日に右事件の調停が成立した。そして、右調停において、本件供託金は原告がこれを取戻すことの合意が成立し、ここに供託はその必要性が消滅し、本件供託金の取戻が可能となつた。

三、そこで、原告は被告に対し、本件供託金の取戻請求をしたところ、被告は本件供託金の取戻請求権は消滅時効の完成により消滅したとの理由により、昭和四一年二月一〇日付をもつて、却下決定をした。

四、しかし、右却下決定は供託金取戻請求権の消滅時効の起算点を供託のときと解しているが、消滅時効の趣旨および供託ないし供託物取戻請求権の性質からすれば、供託金取戻請求権の消滅時効は供託者において、供託による免責の利益を享受する必要のなくなつた時より進行を開始するものと解すべきである。以上の理を本件についてみると、原告が本件供託を維持する利益は前記調停の成立した昭和四一年三月一六日まで存在したとみるべきであるから、本件供託金取戻請求権の消滅時効の起算点は右同日と解すべきである。

そうすれば本件取戻請求権については未だ消滅時効が完成していなかつたのであるから、被告の前記却下決定は違法である。よつてその取消を求めるため、本訴請求に及んだ。

と述べた。

被告指定代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする」との判決を求め、請求原因第一項の事実を認め、同第二項の事実のうち、原告がその主張のとおり調停申立をし、その調停が成立したことは認めるが、右調停成立により、原告において、本件供託金の取戻が可能となつたとの点を争う、同第三項の事実を認め、同第四項は争うと答弁し、主張として次のとおり述べた。

一、民法第四九六条に供託によつて、質権又は抵当権が消滅した場合を除いて、債権者が供託を受諾し、又は供託を有効と宣告する判決が確定するまでの間は、供託者は、理由の如何を問わず、何時でも任意に供託物の取戻ができることを明記しているのであるから、原告は本件供託の当初より、供託金の取戻請求権を行使できるのであり、これを行使するについて、供託原因となつた賃料債務に関する紛争の存続は、何ら法律上の障害となるものではないから、本件供託金取戻請求権の消滅時効は、民法第一六六条第一項により、供託と同時に進行するものと解すべきである。このことは過去において、裁判例の上でも確認されてきたところであり、供託実務においても、永年これに則つて処理されて来たのである。

二、かりに、当事者間に紛争が存続する弁済供託にあつては、取戻請求権の消滅時効は、その紛争解決の時点から進行するとすると、紛争の存続するものと、そうでないものとによつて、供託関係としては甲乙区別のない供託物取戻請求権の消滅時効の起算点を、それぞれ別個に認めることになり、権利として同質のものを彼此差別して取扱うという不合理な結果となる。更に紛争の有無は供託関係の内容になつていないし、又供託所としても紛争の有無を確認すべき法律上の手続も義務もない。然るに紛争の有無によつて取戻請求権の消滅時効の起算点が異るということになると、供託所は大量な取戻請求権の消滅時効に関し、統一的に且つ客観的に処理することができなくなり、事務処理上著しい不都合を生ずる。

三、以上の理由により、被告がなした本件供託金取戻請求に対する却下決定は適法であるから、原告の本訴請求は失当として棄却されるべきである。

(証拠省略)

理由

一、原告は訴外市野八千代より、同人所有の宅地を賃借していたが、原告と同人との間に右宅地の賃料の額につき紛争を生じ、同人が原告の提供した賃料の受領を拒絶したので、原告において、同人を被供託者として、名古屋法務局に対し、本件供託金の供託をしたこと、その後、昭和四〇年三月に至つて、原告は同人に対し、名古屋簡易裁判所に宅地賃料調停の申立(名古屋簡易裁判所昭和四〇年(ユ)第五九号事件)をなし、昭和四一年三月一六日その調停が成立したこと、そしてこれより先、原告が被告に対し、本件供託金の取戻請求をしたところ、被告は昭和四一年二月一〇日付をもつて、本件供託金取戻請求権の消滅時効が完成したとの理由で却下決定をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

二、よつて弁済供託における供託金取戻請求権の消滅時効の起算点について案ずる。

(イ)  弁済供託関係は公法関係であるが、その効果について供託法及び供託規則に別段の定めがないから、民法の第三者のためにする寄託契約に関する規定を類推適用するを相当とする。

(ロ)  民法第四九六条第一項後段によれば、供託者が供託物を取戻したときは、初めから供託をなさなかつたものと看做されるから、供託者は免責の効果を維持しようと欲する限り、供託物を取戻してはならないのであり、従つて他の事由により免責を得、その他供託をしておく必要がなくならない限り、供託者は供託を維持する利益がある。そして国家機関である供託所も、供託者において供託の必要が消滅するまで、供託者のために供託物を保管してやる義務があることは、弁済供託の制度上当然である。従つて供託所には民法第六六三条の類推適用はないものと解するのが相当である。

そうすれば弁済供託は、供託者において供託の必要が消滅することを不確定期限とする寄託契約であり、そしてその期限の利益は供託者のみが有するものと解すべきである。供託者は、供託により質権又は抵当権が消滅した場合を除き、債権者が供託を受諾せず、又は供託を有効と宣言した確定判決がない限り、何時でも供託物を取戻すことができる(民法第四九六条)からと云つて、弁済供託関係が期限の定めがないものと解すべきではない。民法第四九六条は、民法第六六二条の制限規定(期限の定めのある寄託契約と雖も寄託者は自由に返還請求ができるとの原則に制限を加え、弁済供託においては、法定の条件が具備しなければ返還請求ができないことを規定したもの)に過ぎず、弁済供託関係を期限の定めのない契約と規定したものではない。

(ハ)  前述の如く弁済供託関係においては、期限の利益は供託者が有するから、供託者は供託所に対し、期限が到来するまで供託物を保管すべきことを請求する権利を有する。

民法第一六六条第一項は、権利を行使し得る時より消滅時効が進行する旨規定しているが、これは権利を行使するについて何等法律上の障害がなく、又権利を行使しないことを正当付ける法律上の理由もないのに、ただ漫然と権利を行使しない場合には、権利を行使し得る時より消滅時効が進行するという趣旨であることは、権利の上に眠るものはこれを保護せずという消滅時効の制度から考えて明らかである。然るに弁済供託の場合には、たとえ期限前に供託物を取戻すことができるとしても、供託者は期限が到来するまでは寄託契約上の権利として、供託所をして供託物を保管せしめる利益を有するのであるから、期限までは供託物を取戻さないことを正当付ける法律上の理由がある。

かように考えれば、弁済供託における取戻請求権については、期限が到来するまでは消滅時効が進行せず、供託者において供託を維持する必要がなくなつた時から消滅時効が進行するものと解するを相当とする。

(ニ)  なお金銭の弁済供託は国の機関が取扱うものであるから後日証拠が不明になるという危険は極めて少く、従つてこの点を顧慮して、供託の時から消滅時効が進行すると解しなければならぬ必要はない。

(ホ)  被告は右のように解すると、供託事務の処理上不都合を生ずると主張するが、それは弁済供託金の消滅時効に関し特別の規定を設けなかつたためであるから、事務処理上の不都合を理由として右理論を否定することはできない。

三、成立に争いのない甲第三号証によれば、原告は昭和四一年三月一六日訴外市野八千代との間に成立した調停において、本件弁済供託の前提となつている地代債務を弁済して、免責を得たことが認められる。そうすれば本件供託金については、昭和四一年三月一六日原告が右地代を支払うと同時に不確定期限が到来したものというべきであるから、本件供託金の取戻請求権は昭和四一年三月一七日以後進行するものというべきである。

よつて原告が本件供託金の取戻を請求した当時(それが昭和四一年二月一〇日)以前であることは成立に争いのない甲第一号証によつて明らかである)には本件供託金の取戻請求権は未だ消滅時効にかかつていないことが明らかである。

四、以上の理由により、被告が原告の本件供託金の取戻請求を却下した決定は違法であるから、これが取消を求める原告の本訴請求は理由がある。

よつて訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 松本重美 井野三郎 林輝)

(別紙省略)

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